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(令和ニッポンを歩く)“シャッター通り”からの逆転劇/七日町通り(福島県会津若松市)/年間50万人訪れる観光名所に

公明新聞2025年11月26日付 3面

 かつて地域経済の中心的役割を担っていた商店街だが、その数は、この18年間でおよそ1割減っており、空き店舗率が10%超の「シャッター通り商店街」は全体の4割近くを占める。そうした中、“シャッター通り”から年間50万人近くが訪れる商店街へと生まれ変わったのが福島県会津若松市の「七日町通り」だ。「奇跡に近い」と感嘆された逆転劇の裏には何があったのか。記者が現地を歩き、探ってみた。

■明治・大正の町並みを復元

 今月中旬の週末、会津若松市のJR七日町駅から市中心部の大町四ツ角まで、約800メートルの七日町通りを歩いた。

 レンガ造りや瓦屋根の昔の風情を感じる建物が多く、会津漆器や絵ろうそくといった伝統工芸品店のほか、創業200年を超える老舗酒蔵などが並ぶ。会津ならではの馬肉ラーメン店や新選組記念館もあった。

 周遊バスが停留所に止まるたびに、家族連れや4~5人のグループが通りを歩き始め、昼過ぎから人通りはさらに増えていく。“シャッター通り”と呼ばれた過去があったとは思えないにぎやかさ。「会津若松市のまちなか観光に欠かせない存在」(市観光課)になっているという。

■8割が閉まったまま

 もともと会津一の繁華街だった七日町通り。江戸時代は越後街道の宿場町として栄え、戦後も映画館が二つあったという。しかし、大型商業施設の進出や自家用車の普及に伴って、地元商店街の利用者は減り、廃れていった。

 「このままでは、まちが消えてしまう」。立ち上がったのは当時、通り沿いの郷土料理店「渋川問屋」4代目で、後に「七日町通りまちなみ協議会」会長となる渋川恵男氏だ。

 渋川氏は40代になって家業を継ぐため故郷に戻ると、変わり果てた通りの姿にあぜんとした。「8割くらいの店が閉まっていて、歩く人はほとんどゼロ。後継ぎたちは都会に出てしまい、残った高齢の夫婦が商売を諦めてシャッターを閉めている状態だった」と振り返る。

 当時、会津若松観光と言えば、鶴ヶ城、白虎隊の眠る飯盛山、そして東山温泉を回るのが定番。それ以外は見向きもされなかった。鶴ヶ城から七日町通りまではバスで10分ほど。「何とか来てもらう方法はないのか」。渋川氏は仲間らと突破口を模索した。

■景観でメシが食えるか

 ヒントになったのが、“小江戸”と呼ばれ、蔵造りの町並みで有名な埼玉県川越市だった。実際に現地を訪れ、自身の目でも確かめた。

 「七日町通りにも明治・大正時代の蔵や洋館がいくつもある。これを生かそう」。1994年に渋川氏らは「まちなみ協議会」を立ち上げ、通りの景観修復へ動き出した。だが、通りの店主たちは「景観なんかでメシが食えるか」と冷ややかな反応だった。

 それでも渋川氏らの説得が奏功し、96年に初めて米穀店が店舗改修を決意した。喫茶店としてリニューアルオープンすると観光客が訪れ、行列ができた。「周りの店主たちは、その光景にびっくりした。自腹を切って改修しても元が取れることが分かると、徐々に修景に踏み切る店が増えていった」(渋川氏)。

■震災復興へ公明も応援

 苦しい時期もあった。東日本大震災後、原発事故の風評被害で海外観光客が戻らなかった。その時、復興担当として福島県に通っていた公明党の横山信一参院議員が、渋川氏らにインバウンド(訪日客)対策として、まちなか整備に使える国の事業を紹介した。

 これを活用して旧民家を改装したのが2017年開業の「七日町パティオ」。おしゃれな飲食店が入り、人気スポットになった。店主の多くは若い世代で、新しい発想の店づくりが通りに活気を呼び込んでいる。

■おもてなしの心、形にする

 七日町通りを歩いて気付くのは、のれんが掛かっている店が多いことだ。これを助言した景観まちづくりの第一人者である堀繁氏(東京大学名誉教授)は、次のように解説してくれた。

 「店前にのれんを掲げ、花鉢を置き、縁台を出す。もてなしの心がこれらで伝われば、店への立ち寄り率が上がり、魅力的な店の増加は通りに来る人を増やす。これらで多くの店の売り上げが上がれば、地域経済も活性化する」

 堀氏は「心は形にしなければ伝わらない。そこを理解して、真面目に実践したのが七日町通りだ」と評価する。

■「関係人口」の時代

 「まちなみ協議会」が取り組みを開始して30年余。これまでに35軒の空き店舗を解消し、市の観光マップにも大きく取り上げられるようになった。「久しぶりに帰ってきた同級生が、あまりの変わりように驚く」(七日町観光案内所の荒川博美さん)ほどだ。

 今後について渋川氏は「この地域を面白いと感じ、何度も来てもらえる『関係人口』を増やしたい」と語る。「定住者を増やす取り組みばかりでは、自治体間で“限られたパイ”を奪い合うことになってしまう」と考えるからだ。

■土地の“色”と“風”

 この日、七日町通りでグルメを楽しんだという若い女性観光客3人組に話を聞いた。「料理もお酒も美味しい。人も温かい」。地元商店の名物おばあちゃんとの交流もあり、「元気をもらえた」と、まち歩きを満喫した様子だった。

 取材を終えて、通りを後にするとき、“会津富士”とも呼ばれる磐梯山の紅葉を夕日が照らしていた。

 レトロな町並みだけでなく、その土地の“色”や“風”、そして“人”を感じられる、まちづくり--ああ、七日町通りがめざしたのは、これだったのかと、少し分かった気がした。

■(識者の視点)再注目される商店街の価値/京都大学名誉教授 広井良典氏

 地方都市においては、商店街のシャッター通り化や中心市街地の空洞化が進んでいる現実がある。

 一方、高齢化が進む中で、遠くのショッピングモールに車で買い物に行くのが難しい層が増え、歩いて買い物ができる商店街に新たな価値が生まれている。人と気軽にコミュニケーションを取り、何気ない時間を過ごす「コミュニティー空間」「居場所」としての価値にも関心が高まっている。

 ドイツなど欧州の国々では、歩行者中心のまちづくりを1970年代頃から進めており、日本でも近年、国土交通省が「ウォーカブル推進都市」に取り組むなど、「歩いて楽しめるまち」の重要性が認識されるようになってきた。

 若い世代でも、ゆっくり過ごせる中心市街地や、コワーキングスペース(共同オフィス)、カフェなどを含むコミュニティー空間を求める志向が強まっている。若手の商店主に世代交代が進み、活気を取り戻してきた商店街もある。

 まだまだ課題は多いが、このような変化の中で「商店街の復権」が進んでいくと考えられ、行政からの新たな支援策も一層重要になっていくだろう。

 現代日本が抱える社会課題について、記者が現場を歩き、掘り下げていく新企画「令和ニッポンを歩く」。今後、随時掲載していく。