公明新聞電子版 詳細ページ

ピックアップ

(戦後80年--「平和の党」の旗高く=上)「非核三原則」守り抜く/核禁条約の批准へ尽力/締約国会議参加、政府に訴え

公明新聞2025年8月14日付 1面

 8月15日、日本は80回目の終戦記念日を迎える。戦後80年がたった今も、世界では戦争や紛争が絶えず、核兵器の脅威にも直面している。不安定な国際情勢が続く中にあって、日本が軍事国家とならず、平和国家としての道を歩んでこられたのは、「平和の党」の旗を高く掲げ、生命・生活・生存を最大に尊重する「人間主義」の哲学を政治の中に反映させてきた公明党がいたからであり、危機の時代を迎えた今、その存在意義はかつてなく大きい。平和創出に向けた公明党の闘いをたどる。

 戦後80年核廃絶への歩みを進めてきた国際社会は今、分水嶺に立っている。ウクライナを侵略するロシアは、核による脅しをためらわず、北朝鮮の核開発も依然歯止めがかかっていない。一方、日本国内では、ここにきて核武装を容認するような声が聞かれる。

 広島・長崎の惨禍を二度と繰り返してはならない。まして、唯一の戦争被爆国として核廃絶をリードすべき日本が核を保有することなど断じてあってはならない。この決意を具体的に示したものが「非核三原則」だ。

 「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」--。この非核三原則は日本の国是であり、安全保障政策の骨格をなすもの。戦後、核廃絶をめざす日本の立場を国際社会に明確に示し、信頼を広げる重要な役割を果たしてきた。

■公明の国会質問で国是として確立

 非核三原則という言葉が国会の議事録に初めて掲載されたのは1967年12月、公明党による衆院本会議での代表質問だった。そして非核三原則が国是として確立した背景には、沖縄返還(72年5月)を巡る与野党の対決・大激論の末、事態収拾に動いた公明党の決断があった。

 沖縄返還に当たっての最大の焦点は“核抜き、米軍基地の縮小・撤去”。だが、日米両政府が合意した沖縄返還協定には不備欠陥が多く、同協定が審議された71年の国会は紛糾を極めた。自民党が衆院本会議で強行採決の構えを取る中、社会党や共産党は本会議をボイコット。野党だった公明党は、協定に反対の立場を貫きつつ、自民党との交渉で最大限の譲歩を引き出し、非核三原則の順守を盛り込んだ付帯決議を勝ち取った。当時の佐藤栄作首相は「これを厳粛に順守する」と言明。沖縄を含む日本全土に非核三原則の枠がはめられ、国是として確立した。いかなる時代にあっても、公明党は非核三原則を守り抜く決意だ。

■被爆の実相を広く伝える取り組みも

 一方、公明党は「核なき世界」の実現に向けた取り組みも一貫してリード。2009年12月には党内に核廃絶推進委員会を設置し、核廃絶をめざすNGO(非政府組織)と課題解決への対話を続けているほか、「被爆の実相」を世界に伝えるため、各国指導者の被爆地訪問など政府の取り組みを後押し。23年には先進7カ国首脳会議(G7サミット)の広島開催が実現し、G7首脳が初めてそろって広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れた。

 また、核廃絶へ日本政府に求められているのが核兵器禁止条約への署名・批准だ。

 公明党は、21年に発効した同条約について「日本の国是である非核三原則を国際規範に高めた意義を持つ条約」と評価し、折に触れて日本政府に同条約締約国会議へのオブザーバー参加を強く求めるとともに、過去3回全ての会議に公明党議員を派遣。核保有国と非保有国の橋渡し役を担い、条約に署名・批准できるよう環境整備に力を注いでいる。

 核廃絶の流れをより強く--。核なき世界の実現へ公明党の闘いはこれからも続く。