2021年7月3日に静岡県熱海市で大規模な土石流が発生してから、きょうで5年。家屋64棟を全半壊させ、28人の尊い命を奪った災害は、街の姿を一変させた。被害が大きかった同市伊豆山地区では今も復旧工事が続き、住まいを追われた住民が避難生活を余儀なくされている。癒えない傷を抱えながらも前を向く被災者の歩みを追った。(中部支局・藤原誠一、報道部・高橋悠斗) ■“顔合わせる場を”と願い前へ JR熱海駅から車で10分、国道135号を東に走ると、朱色が美しい逢初橋が見えてきた。発災当時、橋を泥色に染めた大量の土砂は既に撤去され、住民や車が絶え間なく行き交う。一方、橋の周辺を歩くと通行止めを示す看板も。復旧への歩みは、いまだ道半ばだ。 「私の家があったのは……あの辺りです」。伊豆山地区に住んでいた田中安雄さん(76)は、重機が動く工事現場を指さし、静かに語った。発災当日、仕事中に伊豆山の被害を知った田中さんは交通規制に阻まれ、自宅アパート付近に戻れたのは翌日。屋根だけが残る惨状を目にした。同居の弟は無事だったが、自宅周辺だけで7人が犠牲に。「車と仕事の荷物だけが残ったね」と振り返る。 生まれ育った伊豆山で多くの友人・知人を亡くし、思い出の品も失った。現在は市内の別の場所に弟と2人で身を寄せるが、「いずれは元の場所に家を建てたい」と故郷への思いをにじませる。 「雨のたびに、あの光景を思い出す」といった深いトラウマを今も抱える住民は少なくない。町内会役員を約10年務める田中さんは、各地に散った住民が“再び顔を合わせる場を”と願い、地域の祭りの開催などに力を尽くす。「大変な災害だったが、だからこそ人の絆は絶やしたくない」。その目に力を込めた。 ■語り部を務めて 同じく伊豆山で被災した関澤浩さん(59)のアパートは、壁1枚を隔てた隣室まで土砂が押し寄せ半壊した。自宅裏に住む女性、魚屋の親子--。よく知る顔ぶれが帰らぬ人となった。 日頃から近隣との交流を大切にしていた関澤さんの経験は、発災直後の救助現場で生きた。「あの人は土曜日の午前は家にいるはずだ」など住民の生活リズムを救助隊に伝え、迅速な安否確認に貢献した。「コミュニティーの力が、いざという時の命綱になる」と身をもって得た教訓を語る。 あの日から5年。関澤さんは今も避難先で暮らす。生かされた命の重みを深くかみしめる日々。災害の語り部を務めるなど記憶の風化にあらがう。「心の復興へ、全国で同じような悲劇が二度と起きない仕組みをつくってほしい」。強い思いを胸に、前を向いている。 ■公明、復旧・生活再建を後押し 発災直後、公明党は「7月1日からの大雨非常災害対策本部」(本部長=大口善徳衆院議員、当時)を立ち上げ、大口本部長や地元県議、市議らが被災地に急行。被害状況を調査し、被災者の声を国や自治体に届けた。 例えば、通行止めになった国道135号の代替路である有料道路「熱海ビーチライン」の無料化を政府に要望。7月14日から国道の通行規制解除まで全ての車両に同道路が無料で開放され、移動の利便性確保や円滑な復興支援が進んだ。 ほかにも国に対し、被災者への相談支援や、住まい確保への支援を求めるなど、迅速な生活再建を後押ししてきた。 ■教訓から盛土規制法が制定 熱海市の土石流災害は、民間業者により不適切に造成された盛り土が被害拡大の要因とされる。この教訓を踏まえ、23年5月に施行されたのが「盛土規制法」だ。 以前は規制が緩かった地域で不適切な盛り土が発生していたため、同法では規制の抜け穴を防ぎ、宅地や森林など土地の用途を問わず、盛り土を全国一律の基準で管理できるようにした。 課題も残る。国の調査では、21年度時点で必要な災害防止措置を確認できなかった盛り土513カ所のうち、254カ所が今年4月時点でも対策が未実施のままと判明。大規模な盛り土造成地では、6割超の自治体が定期的な経過観察を実施していなかった。 熱海市の教訓を基に、公明党は全国の盛り土の総点検や国による規制強化を推進。盛土規制法の制定もリードした。 今年4月の調査結果については、5月の参院行政監視委員会で公明党の竹内真二氏が言及。「経過観察が最も重要な予防」と強調し、ドローンなど新技術を活用した経過観察の促進を訴えた。悲劇を繰り返さぬよう、公明党はこれからも、国と地方で連携し対策に取り組んでいく。