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(大阪・関西万博が盛況)太陽の塔(1970年万博シンボル)が重要文化財に/当時の最先端技術を凝縮/岡本太郎デザイン“魂”揺り動かす造形
大阪市此花区で開かれている「大阪・関西万博」が盛り上がりを見せる中、1970年の大阪万博のシンボルの「太陽の塔」(大阪府吹田市)が、国の重要文化財に近く指定されます。高度経済成長期の日本を象徴する万博のレガシー(遺産)として評価されるもので、その魅力を、指定に尽力した公明党文部科学部会長の浮島智子衆院議員のコメントとともに紹介します。
70年大阪万博の会場となった公園の入り口で、高さ約70メートルの圧倒的な存在感を放つのが太陽の塔です。塔の頂部で金色に輝く「黄金の顔」は未来、正面中央の「太陽の顔」は現在、背面にある「黒い太陽」は過去を表しています。その“魂”を揺さぶる造形を前に、公園を訪れた人たちは驚きの声を上げながら、次々と写真撮影をしていました。
太陽の塔は、芸術家・岡本太郎氏がデザインしたもので、各界で活躍している一流の学者や設計者、施工者が、胴体の複雑な3次元曲面を数学的解析で数式化するなど、当時の最先端技術を凝縮させて建設しました。
塔内部も特徴的です。「地底の太陽」の展示に加え、地下から天へと突き抜ける高さ約41メートルの巨大オブジェ「生命の樹」がそびえます。天空に伸びる1本の樹に、アメーバなど単細胞生物から恐竜、哺乳類までの生物の進化を示す33種類183体の模型が配置され、照明や音響と一体となった演出の中で、訪れる人々を“生命のものがたり”へいざないます。
埼玉県から家族と訪れた男性は「今年の大阪・関西万博の来場と併せて、太陽の塔も見たいと思っていた。作品の規模と力強さに圧倒された」と目を輝かせていました。
■解体予定から保存へ
太陽の塔は、当初は仮設建築物として建てられ、万博の閉幕後に解体される予定でした。しかし、住民から撤去反対の署名運動が起こり、1975年に永久保存が決定。その後、内部公開を再度望む声が高まり、耐震補強と改修工事が進められ、2018年3月から内部見学が再び始まりました。55年の節目を迎える太陽の塔は、今なお多くの住民や国内外の観光客に親しまれています。
府日本万国博覧会記念公園事務所の矢部義雄企画課長は「大阪・関西万博が開かれているこの時期に、重要文化財に指定される見通しが立ったことは、非常に意義深い」と語っています。
■後世に残す支援手厚く
近年、太陽の塔の文化的価値を改めて評価する動きが進み、今年5月には、国の文化審議会が重要文化財に指定するよう答申。文化庁が正式指定へ準備をしています。
川崎市岡本太郞美術館の土方明司館長によれば、1970年万博のテーマ「人類の進歩と調和」に異を唱える形で、岡本氏が縄文土偶を思わせる太陽の塔を造形したといいます。土方館長は「建設当時、西洋美術の枠に捉えきれない岡本の造形は、大衆の心をつかみ支持されたが、美術の専門家からは激しく批判されてきた経緯がある。重要文化財の指定により、その価値が評価される意義は大きい」と語ります。
文化審議会の答申に携わった前文化庁次長の森田正信・国立教育政策研究所長は「指定により、後世に残していくための修理へ補助が手厚くなる。その価値を多くの人たちに伝えられるよう、今後の活用に期待したい」と話します。
■指定へ公明が大きな役割/党文科部会長 浮島智子衆院議員
太陽の塔の重要文化財への指定は、国と地方の議員ネットワークを持つ公明党だからこそ、大きな役割を果たすことができました。
2020年に国の登録有形文化財になって以降、党大阪府議団の三浦寿子議員(当時)を中心に、府民に親しまれている万博記念公園と併せて1970年の大阪万博のレガシーとして活用するべきだと府へ要望を重ねてきました。これを受け府は、重要文化財指定をめざした調査を実施し、文化的価値を明らかにした報告書を昨年11月にまとめました。
今年2月には、私と府議団で文化庁を訪れ、早期指定を要望。国会質問でも、公明党は早期指定を繰り返し訴え、石破茂首相からは、現在開催中の大阪・関西万博の「成功の一助になれば大変幸い」との答弁を引き出すなど、政府に強く働き掛けてきました。
太陽の塔は、住民から長年愛されてきました。指定を機に、改めて多くの方に足を運んでもらい、地域活性化の起爆剤になることを願っています。