住民に「いつもニコニコ笑って自転車をこいでいる」と評され、常にまぶしい笑顔を振りまく。街頭活動には「市議会議員です ご相談受付中 お気軽にお声かけください」と印字された黄色いのぼりを必携。三鷹市議、佐々木和代(58)は、困ったときにすぐ頼られる「かかりつけ」の存在に、と心に秘める。追い求めるのは父の姿。 ■笑顔の奥に光る“父娘の絆” 豪雪地帯の新潟県十日町市で生まれた佐々木。3歳だった1971年、父・古川久さんが公明党の長岡市議に初当選する。父は、腎不全で苦しむ患者の切実な声を聴き、人工透析を公費負担でできるよう国会議員に何度も陳情し道を開く。突破力が買われ、翌72年から衆参国政選挙に4回挑むも、苦杯をなめ続けた。3度挑戦した衆院新潟3区(旧中選挙区制)の対抗馬には、田中角栄元首相がいた。 この間、小学生となった佐々木は、教室で「落選」コールを繰り返され、いじめを受ける。思うように登校できなくなったが、父に理由は話せなかった。自宅で人知れず背中を震わせる姿を見ていたから。そんな少女は、雪国の人情深い支持者から「誇りを持て」「誓いに生きるんだ」と厳しくも温かく励まされ、地域の鼓笛隊に加わって少しずつ前を向いていった。 父は83年、新天地の新潟市で市議会議員に。6期務め、福祉向上や環境対策を前に進めた。党の県代表も担った。早朝から深夜まで自宅へ駆け込む住民の涙ながらの相談に、親身に応対する様子が今も目に焼き付く。 その後、佐々木は東京女子大学の短期大学部に進み、三鷹市で2年過ごす。卒業後は第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の新潟支店へ入行。結婚を機に退職し、同僚だった夫の転勤で95年、再び三鷹へと移り住んだ。 出産・子育てを経て、「天職でした」と振り返る介護の世界へ。介護福祉士、介護支援専門員として活躍し、初任者研修の講師や都の第三者評価者も兼務した。元上司の山本久美子さん(64)は「困っている人に何かできることはないかというパワーがあふれていた」と絶賛する。 * 佐々木の父・久さんは、数々の大病を乗り越え、2021年に前立腺がんを発症する。コロナ禍で面会が難しい中、病室で向き合う機会が一度あった。何の気なしに聞いた。「11回も選挙をして本当に大変な人生だったけど、もし生まれ変わったら、また公明党の議員として闘いたい?」と。父は微笑を向け、間髪入れずに「うん、闘うぞ!」。これが、父と娘が直接交わした最後の会話になった。 * 翌年、くしくも佐々木は出馬の打診を受ける。二の足を踏むも、父を思い浮かべるとファイトが湧いた。23年4月に初当選した直後から介護士経験を生かし、認知症施策に力を注ぐ。 一人の婦人の相談を基に、見守り対策を推進。認知症の人がひとり歩きで帰れなくなった際、発見者と家族が連絡を取り合える2次元コード付きの「ただいまシール」配布につなげ、利用者に損害保険が適用される制度拡充も後押しした。 都立井の頭公園で園芸用の土の投棄が相次いだのを受け、市による土の回収も形に。京王井の頭線・三鷹台駅前への時計設置を実らせるなど、1期目ながら多彩な実績を築く。 * 「父がよく言っていたんです。『とにかく1日1軒回る。小さな一歩でも、1年続ければ365人。これはすごいことだぞ』って」。今、自らも挑戦する佐々木。どんな人も温かな光で照らし、希望を届ける公明党議員でありたいとの一心で。(文中敬称略。随時掲載) ■取材後記 小平市で暮らす佐々木議員の母・古川クニ子さん(86)。陰ひなたで支え続けた夫との二人三脚を述懐してもらいながら、尋ねてみた。公明議員の娘に望むことを。「とにかく『人のために尽くせ』『困っている人のところに足を運べ』。それが主人の言い伝え」。今こそ、全身に刻みたい。(月) ※感想をお寄せください ※過去の連載はこちら