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(日航機墜落事故40年)御巣鷹の記憶、次代へつなぐ/現場の「尾根」守る/群馬・上野村
520人の尊い命が犠牲となった、群馬県上野村の日航機墜落事故から12日で40年を迎えた。二度と悲惨な事故を起こさせないために、その記憶を語り継ぐ遺族と、墜落現場の「御巣鷹の尾根」を守る地元住民を追った。=社会部・星野太智
■地元の支え
7月下旬。背の高い木々に覆われた上野村の山中で、山仕事に打ち込む男性がいた。「御巣鷹の尾根」の維持・管理を担う黒沢完一さん(82)。「来る人が気持ち良く登ってくれたら」と、勾配のきつい登山道の整備に汗を流す。
1985年8月12日、午後6時56分。東京の羽田空港を出発し、大阪(伊丹)空港へ向かう日本航空123便ジャンボ機が「御巣鷹の尾根」に墜落した。乗客・乗員524人のうち、520人が死亡。単独機の事故として、航空史上最大の犠牲者だ。
運輸省航空事故調査委員会(当時)の報告書によれば、原因は78年に起きた事故での修理ミス。機体後部にある圧力隔壁が、適切に修理されないまま飛行を繰り返し、疲労亀裂が進展。当日、ついに損壊し、操縦機能の喪失につながった。
機体が砕け、遺体の確認が難航。凄惨を極めた尾根には事故後、慰霊碑の「昇魂之碑」が建立され、犠牲者の墓標も至る所に並べられた。
以来、尾根は全国から遺族が訪れ、犠牲者を追悼する慰霊の地となった。事故の関係者だけでなく、公共輸送に関わる航空会社や鉄道会社の社員なども登山しており、二度と悲惨な事故を起こさせないと“安全を誓う場”にもなっている。
尾根を管理する公益財団法人「慰霊の園」によれば、昨年度の登山者は約8900人。例年、1万人前後の人が訪れるという。
上野村で長年、尾根を守り、登山道の整備に尽力してきたのが黒沢さんだ。「地元の人間として、登山者に何か貢献できないか」。そう考え、山の草刈りなどをボランティアで継続。2006年に「慰霊の園」から管理人を任されて以降は、毎日のように山に登っている。
例年、山が開いている4月末~11月の間、早朝から夕方まで山で作業。樹木の伐採、草刈り、山道の手すり設置や墓標の清掃まで「山に関することは全部やる」という。
事故から40年、遺族の高齢化が不可逆的に進む。尾根に登れない遺族の代わりに、墓標に献花したり、写真を届けたりもする黒沢さん。「いろいろな思いを持って、全国から登山者が来る。自分の力が続く限り、尾根を守っていきたい」と腹を決めている。