沖縄はきょう23日、太平洋戦争末期の沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」を迎えました。公明党沖縄県本部(代表=上原章県議)は2025年末から、悲惨な戦争の体験者から証言を聴き、記録する「戦争体験継承プロジェクト」を開始。党県青年局長の藤山勇一沖縄市議が今月、同市在住の党員・儀保美津子さん(92)の体験を聴きました。その証言内容と識者の見解から、戦争体験を残す意義を改めて確認します。 ■橋の下、豚小屋、米軍基地、異国の地で懸命に生きた 家族は父と母、4男3女の7人きょうだいです(儀保さんは4番目の次女)。私が10歳の頃、通っていた仲喜州国民学校(現在のうるま市高江洲地域)の校舎を日本軍が使い始めました。 それ以降、私たちは軍が連れていたと思う馬の餌を集めるため、草刈りに行くことになりました。午前中は草刈り作業をして、山で勉強する日々になったのです。戦況が激しくなり、自宅では危なく、親戚と橋の下へ避難しました。 * * 「10・10空襲」で避難先の近くが爆撃され、その爆風を吸い込んだ小さいめいっ子たちが嘔吐や下痢をしたのを覚えています。米軍の上陸後は、橋の下や墓など避難できる場所へ常に逃げていました。息を潜めていた時、米軍に遭遇。「死んでしまう」と思い、身動きが取れなくなった私に彼らはチョコレートなどお菓子を渡してきました。着物の袖をいっぱいにした私に、母は「毒が入ってるから絶対に食べるな」と言いました。 収容所を転々とし、沖縄戦は終わりました。残された自宅は避難民がいて、私たちは自宅裏の豚がいなくなった小屋で生活。姉と一緒にわが家の畑へ行くと、米軍のフェンスが建てられていました。その時、MP(米軍憲兵)に姉が銃撃されたのです。かろうじて命は無事でした。 * * 洋裁の仕事もできる学校へ行く予定でしたが、「6・3・3」の学制に切り替えられ、1年だけ中学校へ。結局、卒業後はいとこが勤めていたこともあり、米軍嘉手納基地内のランドリーに就職。米兵の作業着などを洗濯する仕事で、懸命に働きました。 その職場で出会ったのが、フィリピン人の男性でした。なんでか、猛烈なアプローチ(笑い)を受け、結婚することに。しかし、父は大反対。「子でもないし、親でもない」と言われたまま、沖縄を離れました。 言葉が通じないフィリピンの地では苦労しました。真面目に働く夫と一緒に頑張り、現地にいた沖縄出身者にも助けられました。7人の子宝にも恵まれ、生活が落ち着いた時、絶縁状態だった父が沖縄に呼び戻してくれたのです。 17年暮らしたフィリピンを離れ、家計を必死にやりくりして、子どもたちも沖縄へ。今は、孫が18人、ひ孫は15人います。先日、ひ孫から「20歳になるから一緒に乾杯できるね」と言われたことがうれしかったです。ひ孫たちまで命をつなげたこと、平和な世を生きられることに感謝しながら、毎日を生きていきます。 ■「人類の遺産」受け平和築く-聴き取りを終えて- 戦争と米軍占領下の不条理を垣間見るとともに儀保さんのたくましさを感じました。儀保さんは自身の体験を語った際、お孫さんたちに「昔のことでしょう」と言われたそうです。 私は別の戦争体験者の聴き取りをした際、自分の長男を同席させました。貴重な証言は平和を築き、守り続ける「人類の遺産」と捉え、これからの政治活動に生かしていきます。子どもたちが「戦争は昔のこと」と言い続けられるように。(藤山勇一) ■識者の視点 ■沖縄大学人文学部 吉川麻衣子教授 ■肉声残す「語り合いの場」を 26年前から戦争体験者500人以上と対話をしてきました。沖縄戦で住民が避難するガマ(自然洞窟)で赤ちゃんを抱く母親に引き金を引いた元兵士の男性や、家族が戦死し、孤独になった後もスパイ容疑をかけられ、凄惨な拷問を受けた女性らがその経験を語り残してくれました。 当初はその肉声を聴くまでに相当な時間を要しました。私は、同じ戦争体験者同士が集う「語り合いの場」を設けました。互いの気持ちを大切に聴き、自分のペースで話したい時に話すなどの「約束」を決めて進めました。そうして、長く語られなかった戦争体験が少しずつ語られるようになったのです。 今、戦後80年が過ぎ、「伝え、残したい」との思いで、自ら語り始める方々が増えている印象です。家族や親戚、そして地域で戦争体験者の肉声を聴く「語り合いの場」が広がってほしいです。体験者の元へ足を運び、記録する実践は大切な取り組みです。有権者の負託を受けた議員の皆さんが率先される意義は、大きいと思います。 一方、体験者と接する機会が喪失していく中で、平和教育の質が求められます。県内の学校現場からは、「教材は何を使用すれば良いか」という相談の声が寄せられます。体系的な教育プログラムやポータルサイトの整備など、志がある教員らをサポートする必要性を感じます。 SNSやAI(人工知能)が身近になる中、歴史を過度にゆがめたり、営利目的と捉えられたりする内容もあります。平和教育のあり方の議論を進める役割を政治や行政には、特に力を注いでほしいです。 沖縄戦の研究は海外から「多様な価値を理解し合う機会」などと評されます。戦後90年となる2035年を重要な節目とし、体験者の思いをどうつなぎ、継承していくかを考え、行動していきたいです。 よしかわ・まいこ 那覇市生まれ。琉球大学卒。九州産業大学大学院博士後期課程単位取得満期退学。著書に『沖縄戦を生きぬいた人びと』(創元社)など。 ■これまでの証言記録 ■党県本部がHPで公開 公明党沖縄県本部は現在、これまでに聴き取りを行った戦争体験者の証言記録をホームページに公開しています。