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(東日本大震災15年)希望のブドウで未来を醸す/「オール富岡ワイン」を完成させた遠藤秀文さんの歩み
東日本大震災の大津波で沿岸の家屋や農地が流され、東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県富岡町。10年前、遠藤秀文さん(54)と町民有志が、荒れ果てた大地にブドウの木を植え、ワイン造りを始めた。今では、潮風が吹く海辺には豊穣の畑が広がる。そして今春、栽培から醸造・熟成、瓶詰めまで一貫した「オール富岡ワイン」が誕生する。100年先のまちづくりを夢見て、希望のブドウで未来を醸そうと挑戦を続ける遠藤さんの姿を追った。=東日本大震災取材班 文=大門一義 写真=南知成
木目が美しい板壁の部屋で木樽に詰められたワインが熟成を待つ。室内には、たゆたう波のような音楽が流れる。フランスの作曲家・ドビュッシーの交響詩「海」だ。
JR富岡駅のほど近く、醸造所「とみおかワイナリー」では、社長の遠藤さんがワインの出来栄えを確かめていた。ブドウは社屋の前、太平洋に臨む畑で昨年、収穫されたものである。
黒ブドウ品種・メルローを醸した赤ワインをグラスに注ぎ、真剣なまなざしで色合いを見る。香りを嗅ぎ、口に含み「古い樽で寝かせるとエレガントな味わいになるね」とつぶやいた。
「長いようで、あっという間だった」。富岡で育てたブドウを富岡で醸造・熟成し、瓶詰めする夢が、もうすぐかなう。
■全町避難から、まちに広がる豊穣の畑
2011年3月11日、大きな揺れを感じた遠藤さんは家族と高台へ避難。大津波は集落を流し去り、農地は水没。半年前に新築した自宅は跡形もない。蔵だけがぽつんと残る。翌12日には、全町避難の指示が発令。遠藤さんは家族を妻の実家の岐阜県へ避難させ、郡山市へ身を寄せた。
震災から2年後、30代の頃から構想していたワイン造りの準備を始める。16年には立ち入りが緩和されたエリアに郡山から2時間かけて通い、町民有志10人とブドウを植え始めた。しかし1年、2年と時は過ぎてもブドウは実らない。「富岡では無理」「潮風で果樹は育たない」との声も聞こえた。
だが「やれない理由はいくらでもある。どうしたら克服できるか行動することで不可能も可能になる」と奮起する。全国からのボランティアにも支えられ、植樹から3年目、初めてのブドウを収穫。遠藤さんは“希望のブドウ”で未来を開くと誓った。
ゼロから出発した畑は今や約7ヘクタール、ブドウ樹は1万6000本に増え、図らずも震災前の町の人口と同数に。かつて全町避難で荒れ果てた大地には豊穣の畑が広がる。
■父の背中
遠藤さんの父、勝也さんは震災当時、町長だった。原発事故の賠償交渉の最前線で計り知れない心労に直面した。「町民を一人でも多く故郷に戻したい。まず、自分が先頭で帰る」と常々、語っていた勝也さん。町長勇退後の14年7月、避難先の郡山市で志半ばで亡くなった。
その2日前、病床の勝也さんの元へ駆け付けた遠藤さん。差し伸べられた手を握り返すと父の唇がかすかに動く。無言の会話から「富岡を頼む」と託された気がした。命懸けで町民のために働き続けた父。今も心の中で語り合い「富岡のために働こう」と自身の羅針盤にしている。
ワイナリーの理念は「先義後利」。中国の古典で、社会貢献を優先し、利益は後に回すことを意味する。
富岡漁港ではヒラメなど「常磐もの」が水揚げされ、農業も復活しタマネギやサツマイモなど特産化が進む。この土地の特性“テロワール”を生かし「とみおかワイン」と豊かな食材と組み合わせる“マリアージュ”で国内外から人が集まる場にしたいと願う遠藤さん。「ブドウの木は年々たくましさを増し、ワインの味わいも深まっていく」。見つめるグラスの先には100年後の富岡の風景がある。