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(文化)『ふたりの祖国』連載を終えて/満洲事変から日米開戦まで徳富蘇峰と朝河貫一に焦点/作家 安部龍太郎

公明新聞2025年10月3日付 5面

 片やイェール大学歴史学教授の朝河貫一。こなた戦前の日本の言論界の大立て者だった徳富蘇峰。この二人を主人公に、昭和六年の満洲事変から昭和十六年の日米開戦までの物語を書こうと思った。

 理由は二つ。ひとつは大正三年生まれの父が生きた時代を見つめ直し、日本はなぜアジア・太平洋戦争に突入したのか明らかにしたかったこと。もうひとつは昭和三十年生まれの歴史小説家として、この時代を書いておく責任があると思ったことである。

 だが古代や中世、近世の物語を中心に小説を書いてきた私にとって、戦前をテーマにするのはきわめてハードルが高い難しい仕事である。それでもなお挑戦しようと決意したのは、国際関係史の観点から朝河貫一の研究をつづけておられる早稲田大学教授の浅野豊美先生に勧めていただいたからだ。

 「私が監修者としてセーフティーネットを張りますから、思いきり書いて下さい」

 有難い励ましをいただき、この機会を逃すわけにはいかないと思った。

 その決断を支えたのは、佐藤優氏と『対決! 日本史』(潮新書)で六巻にわたって対談をしてきたことだ。外務省の主任分析官だった佐藤氏の知見と経験、世界観などをうかがううちに、政治や外交について目を開かれることがいくつもあった。

 朝河のような偉大な学者を小説に描くには、私の学識や経験は圧倒的に不足している。彼の著作への理解は充分とは言えないし、およそ百年前のイェール大学でどのような生活をしていたかもよく分らない。

 こうした困難を緩和してくれたのは、一方の主人公として徳富蘇峰を取り上げたことだ。蘇峰は今でも右翼的な言論人として批判されることが多いが、彼の著作や各種のコラムは実に面白かった。

 ドン・キホーテのような蘇峰を楽しんで描けたことで、ハムレット的な朝河と向き合う気力と心の余裕を取りもどすことができた。蘇峰の資料については、神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館(今は資料館)にお世話になったことを明記し、お礼を申し上げたい。

 この小説を書きながら痛感したのは、我々戦後世代がいかに戦前の歴史を学んでいないかということである。それは個人の勉強不足というレベルの問題ではなく、国家の教育によって意図的に伏せたり改変したりして、不都合な真実をおおい隠していることに根本的な原因がある。

 物語を書き終えて思うのは人間の無力である。陸軍の輜重兵(物資輸送を担当する兵士)として中国の南京占領に従軍していた父に、その時の体験についてたずねると、「あげんなったら、普通じゃおられん」とぼそりと言った。

 国家が強大な権力を持って間違った方向に暴走を始めたなら、それを阻止するのは容易なことではない。「そうなる前に、我々に何が出来るのか」

 この物語を読んでいただいたことが、それを考えるきっかけになったとすれば、望外の幸せである。(あべ・りゅうたろう)