能登半島地震から、きょうで2年6カ月がたつ。開湯1200年という歴史を誇る和倉温泉(石川県七尾市)は激しい揺れで大きく傷つき、当初は全旅館が休業に追い込まれた。だが、温泉街の人々は再建を諦めない。郷土の「創造的復興」を掲げ、2028年の全館再開へ陣頭指揮を執るのが、和倉温泉観光協会会長の奥田一博さん(46)だ。=能登半島地震取材班 ■人、経済、時代が“めぐる”温泉街へ/新しい郷土像を描く 穏やかな七尾湾に面し、加賀屋などの老舗旅館が軒を連ねる和倉温泉。その一角に1907年から続く「奥田屋」がある。奥田さんは5代目の若旦那だ。 旅館を大規模に改装し、本格的にリニューアルオープンしたのは2023年だった。再出発が軌道に乗りつつあった翌年元日、激震が温泉街を直撃した。「奥田屋」の建物は基礎から傾き、建て替えを迫られた。断水が長引き、台所もトイレも使えない。風呂は週に1度ほど金沢まで通った。不自由な暮らしを強いられながら、一からのなりわい再建。「もう旅館を辞めるしかないと思い、絶望した」 前を向く支えがあった。同じ境遇にさらされた同業者の仲間たちの存在だ。皆には、歴史ある温泉街で働く誇りがある。発災後、若手が集まり、温泉街の未来を描く協議体が立ち上がった。当時、和倉温泉旅館協同組合の青年部長だった奥田さんは中心役の一人に。生活となりわいの再建に必死な中、意見交換を繰り返し、皆で和倉の未来の青写真を描いた。 旅館業関係者に限らず、幅広い意見を未来に反映したい。そう考え、地域住民らを巻き込んだ「和倉トーク」の開催を重ねた。子どもたちの声を聴くため小中学校に出向くこともあった。こうして出来上がったのが「和倉温泉創造的復興プラン」だ。 プランの核をなす言葉は「めぐるちから」。人々が温泉街全体を巡り歩いてにぎわう街づくりと、資源を巡らせる循環経済の実現、巡る時代が織りなしてきた温泉文化の継承--という未来像を込めた。プランには、温泉街を巡る自動運転バスの実証実験や、被災事業者に対する専門家の伴走支援などの具体策も盛り込み、いくつかのプロジェクトは既に動き出している。観光客が街全体を巡り歩けるように、飲食店などの誘致にも力を注ぐ。 28年の全館再開に向け、和倉温泉は着実に再建の道を歩む。「奥田屋」は建て替えが終わり、営業再開を今月9日に控える。奥田さんは、旅館に温泉は残しつつ食事を提供しない「泊食分離」の営業に挑む。旅館外で観光客が能登ならではの食事や買い物を楽しめる店とは「一心同体」と心に定める奥田さん。七尾湾の風光明媚な景色を眺めながら、生まれ変わった郷土の姿を思い浮かべる。 ■「公明党に勇気もらった」 能登半島地震の発災直後から、公明党は災害対策本部を立ち上げた。総合本部長代理だった赤羽一嘉衆院議員(現・中道改革連合)ら国会議員と、谷内律夫、小松実の両県議、江曽ゆかり市議も和倉温泉に何度も足を運んだ。「発災当初、和倉にいる同業者のほとんどが失意の底に沈んでいたが、公明議員がすぐ駆け付けてくれた。本当に勇気をもらった」。奥田さんは、こう評価する。 公明党が特に強く働き掛けて道を開いたのが、七尾湾に接する護岸の早期復旧である。護岸は高潮などから一帯を守る重要インフラだが、激しい揺れで延長約3・5キロにわたって損傷。元の護岸は民有と公有が入り交じる構造で、工事の着手を阻んだ。これに対し赤羽氏らは、民間の護岸を公有化して公共事業として復旧を前に進める方策を国土交通省に提案。要望を通じ、民有護岸の公共帰属が決まり、工事が加速し始めた。 休業に追い込まれた事業者の雇用を守るための制度や、設備の復旧・再建を支援する助成金の拡充も後押し。「和倉温泉を自分ごとのように支えてくれた。本当にありがたい」と、奥田さんから率直な言葉が寄せられた。