15年前の3月、阿部正幸は翌月の統一地方選に向けて仕事を辞めて地域を歩いていた。宮城県多賀城市議選への初挑戦。仙台港にほど近く仙台市のベッドタウンとして発展してきた街の活性化に尽くすと腹を決めていた。
同11日午後2時46分、大きな揺れに見舞われる。余震が続く中、仙台市内の高校に通う長女から「交通機関が全部止まって帰れない。迎えに来て」と携帯電話で連絡があった。車で仙台へ向かう国道45号で臨海工業地帯にさしかかると渋滞で前に進めない。
焦る気持ちを抑えながらハンドルを握っていると外から「津波だ。逃げろ」との叫び声が聞こえてきた。「真っ黒い水の壁」が音を立てながら押し寄せる。瞬時にUターンし、立体駐車場の2階へと滑り込んだ。津波は1階をのみ込み、ごう音の中、助けを求める声が聞こえる。阿部は、その場に居た人と力を合わせ、手を差し伸べ次々、引き上げた。
あの日の夜は雪が舞った。阿部は寒さから子どもや女性を守ろうと車中へ避難させ、冷たく星が輝く夜空の下でたき火をして朝を迎える。長女の無事も確認できた。
発災直後から公明党の動きは素早かった。市議、県議、国会議員が現場に駆け付け、被災者一人一人の声に耳を傾けては解決へ次々と手を打つ。議員でない阿部はもどかしかった。「私にできることは何だろう」。立党精神「大衆とともに」をみなぎらせ現場を走る先輩議員の姿に奮起し、自身も毎日、避難所へ足を運び、ひたすら住民の声を聴いた。
「気持ちが晴れやかになる音楽を聴きたい」。一人の言葉が阿部を動かす。
「音楽の力で勇気と希望を届けたい。自分にできるのはこれだ」。阿部は各地の吹奏楽団で演奏し、全国に音楽仲間がいる。経験と人脈を生かし、避難所コンサートの企画を支え、県内11カ所で開催を橋渡しした。参加者の一人、大場宏美さん(67)は「避難所で聴いた音楽は希望の道しるべでした」と振り返る。
同年9月、延期されていた市議選が実施され、阿部は初当選した。46歳の時だった。
■助け求める声には全力で
被災地では、仮設住宅から災害公営住宅(復興住宅)へ移行する時期、住民の孤立が問題になった。そこで阿部は2017年から「住民同士の絆を深めよう」とコンサートを発案。市内4カ所の復興住宅の集会所などにプロの音楽家を招く演奏会を支える。今月で230回になった。
「阿部さんの誠実さと行動力があってこその演奏会」。トランペット奏者の戸田博美さんは信頼を寄せ、たびたび出演。参加者たちは「ここに来れば誰とでも仲良くなれる」と笑顔の輪を広げている。
阿部は、市民相談で寄せられた声には全て真剣勝負で取り組んでいる。これまで、復興の歩みを全国に伝えようと東北6県の食材を使った「東北福興弁当」の開発や販売を支援。商工会議所などに勤めた経験から中小企業の復興を支える「グループ補助金」の申請をサポートし、約100社の再建に携わってきた。
阿部は津波にのまれた駐車場で救えなかった人がいたことを悔やんでいる。「助けて」の声が耳に残る。「だから今、助けを求める声には全力で応える」。これが相談に向き合う阿部の姿勢である。(文中敬称略。随時掲載)
=東日本大震災取材班 文と写真・武田将宣





