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(能登地震2年)“伝統の味”つなぐ家族の絆/全壊の和食料理店、3月に再始動/松本さん一家(石川・志賀町)
■復興果たし、地域に恩返し
2年前の元日。自宅が壊れ、日常が崩れた。能登半島地震の被災地で人々は、幾度も試練に遭いながらも、一歩ずつ歩み続けている。石川県志賀町で自宅兼店舗の全壊を乗り越え、今春の営業再開にたどり着いた和食料理店の闘いを追った。=能登半島地震取材班
北陸の冷たい風が吹きすさぶ。店先からは香ばしい匂いが漂う。能登半島の西海岸沿いにある道の駅「とぎ海街道」の仮設店舗で販売されているたこ焼きだ。創業から今年で52年を迎える志賀町の和食料理店「まつ本」が自慢の一品として提供してきた。
店主は2代目の松本光一さん(65)。能登の里山と日本海に囲まれた自然の恵みを四季折々の料理に仕立て、妻・久視子さん(61)らと共に家族経営で店を守り抜いてきた。毎年、正月が近づけば、地域の初寄り合いで予約が埋まり、折り詰め用の食材を仕込む作業に追われる。
そんな忙しくも幸せな毎日が2年前のあの日、一瞬で消え去った。その日は夜に家族で店の跡継ぎについて話し合うはずだった。外出中の娘婿・稔さん(37)が帰ってくる頃の午後4時すぎ。グラッと大きく揺れ、間もなく激震が15秒ほど続いた。光一さんは幼い孫を抱えたまま、身動きが取れなくなった。家族の無事は確認できたが、自宅兼店舗は傾き、地盤が割れた。光一さんは無残な光景に言葉を失った。「何もかんも終わりや……」。
■娘婿の言葉で再起
家族で1週間ほど車中泊した後、娘・夕佳さん(37)と孫2人、義母は金沢市の親戚宅に避難。光一さん、久視子さん、稔さんは町にとどまり、車中泊を続けた。
大変な時だからこそ、復興を果たして、地域に恩を返したい--。稔さんは心に決めていた。「責任は私が取るので、もう一度やりませんか」。この一言が諦めかけていた光一さんと久視子さんの心に灯をともした。
すぐに店舗前の土地を購入できたが、道のりはたやすくなかった。新店舗の設計や、被災した事業者の施設・設備の復旧を後押しする「なりわい補助金」の申請など全てが初めての経験。補助金に関する最初の説明会では、相次ぐ質問に何も答えられない行政にがくぜんとした。慢性的な事業者不足で新店舗の工事も思うように進まない。
3月下旬には、みなし仮設に入居できるようになったが、光一さんは防犯上の不安から全壊した店を離れず、一昨年10月の解体直前までとどまった。
■寄り添い続けた公明議員に感謝
極限状態に追い込まれるほど苦しかった時、寄り添ってくれたのが公明議員だった。坂秀明・金沢市議は発災直後から自宅を訪れ、事業再建を丁寧にサポート。小松実・石川県議は、なりわい補助金に関する県の相談窓口につなげてくれた。「行動も判断も早く、何より思いがある。今があるのは、公明議員のおかげ」と一家は口をそろえる。
発災以来、水も止まっていたが、昨秋には解消した。「不安もあるが、そんなことは言ってられない。今度は若い2人も一緒やから」。言葉を紡ぐ光一さんの目には、男の覚悟と後継への期待がにじむ。長年、店を支えてきてくれた地元の方々への感謝も営業再開の原動力になっている。
生まれ変わった和食料理店「まつ本」は今月上旬に引き渡される予定だ。店舗の横には新居も完成し、昨年末には2年ぶりに家族7人同じ屋根の下での生活が始まった。
春の訪れを感じさせる3月の営業再開へ、準備が本格化している。
■(取材後記)
稔さんは6年前、松本家の婿に来た時に初めて「まつ本」の料理を食べた。“俺もこんな料理を作れるようになりたい”と感動し、板前を志すことに。繊維機械の製造会社に勤務しながら、仕事や子育ての間隙を縫っては、料理修業に精を出す。調理師免許を持つ夕佳さんと共に事業再建にも当たり、松本家前進の力となっている。
実は光一さん自身も38年前に婿として松本家に入った。世代を超えて受け継がれる料理の味と郷土愛。今春には、先代から魂を受け継いだ包丁をもう一度手に取り、料理と向き合うつもりだ。