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(「大衆とともに」を胸に戦い抜いた公明党の60年=下)「中道」とは解を求め続ける知恵のダイナミズム/太田昭宏・党常任顧問が語る
■「道に中る」ことであり「本質・根源に迫る」姿勢
公明党は「中道」の旗を掲げて進んできた。右と左の真ん中に中道があり、保守・中道・革新と位置付けがされたりするが、「相対立する両極端のどちらにも執着しない」「偏頗を排する」という意味では、中道といえるかもしれない。しかし公明党の掲げる中道は、より哲学性をもっている。本来の中道はそうした「足して二で割った真ん中」という中間主義や折衷主義ではない。
中道とは「道に中(あた)る」ことをいう。道とは人間・社会・自然を貫く法則・根源・本質であり、道義・規範というべきものである。柔道・剣道・茶道などに「道」が付されているが、精神性を持った奥義であるからだ。まさに中道とは「本質・根源に迫る」姿勢だ。それゆえ、あらゆる自然・社会の根源である「生命」「尊厳なる生命」を最も重視する。公明党が綱領に「〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義」をうたっているゆえんである。
公明党は、「生命の尊厳」に立ち、「民衆の幸福」「平和の実現」を思想の根源に置く。「生命の尊厳」「民衆の幸福」「平和の実現」に帰し、それに基づいて行動する。
■現実を直視した臨機応変の自在の知恵
そして「中」は、例えば「中毒(毒に中る)」「的中(的に中る)」として使われる「中」だ。「中」について、哲学者の安岡正篤氏は「『中』というのは面白い語で、それはいろいろな矛盾を克服して無限に進捗していくという意味、論理学で言う弁証法的発展というものです」と言う。また、若き哲学研究者の永井玲衣氏は、その弁証法について「異なる意見を前にして、自暴自棄に自身の意見を捨て去ることではない。ただ単に違いを確かめて、自分の輪郭を浮かび上がらせるのでもない。異なる意見を引き受けて、さらに考えを刷新することだ。中間をとるのでもない。妥協でもない。対立を、高次に向けて引き上げていくことだ」と指摘する。
劇作家の山崎正和氏は「左右それぞれの『真ん中』というのは大切だけれど、それだけでは中道の定義としては不十分である。私の考える中道というのは、問題を提起するだけでよしとしない態度だ。『この問題が大変だ』ということを縷々主張したとしても、少なくともどこかに解決への道を示唆するのが中道だと私は考えている」と語っている。
つまり中道とは中間をとるものでもなく、妥協でもない。対立を高次に引き上げ、刷新する。解決の道を提示すること。“解を求め続ける知恵のダイナミズム”が中道ということだ。私は、政治は空中戦ではなく、現場の力であり、「徹底したリアリズム、現実を直視した臨機応変の自在の知恵だ」と言ってきた。公明党の中道政治は「生命の尊厳」「民衆の幸福」「平和の実現」に基づき解決の道を提示する知恵のダイナミズムということができる。
■自公連立政権の「安定」は日本の力
「政治は結果」「仕事をするのが政治家の役割」--。私が政治活動で常に言ってきたことである。公明党の60年の歴史は、「政策実現政党・公明党」の歴史である。教科書無償配布も児童手当も、地域での市民相談から始まった。そして数々の政策実現を果たしてきた。
公明党が連立政権に参加して、その政策実現力は飛躍的に上がった。議院内閣制の日本は、内閣が議会多数派の支持を基盤にして構成され、政府・与党が政治のかじ取り、政策実現に責任を持つ。公明党の意見、政策が連立政権の20年余、全てに取り上げられてきたのだ。
1999年10月、連立政権に参加した時に掲げた、「政治の安定と改革のリーダーシップ」をそのまま公明党は担ってきた。
2018年1月、年頭の施政方針演説で、安倍晋三首相(当時)は、その冒頭で最も長い時間を使って「全世代型社会保障の実現」をうたった。本会議場にいた私は「ここまで来た!」との感慨が込み上げてきた。「大衆福祉の公明党」の戦いによって今、政治の柱として「全世代型社会保障」を政府が第一に掲げる時代が来たと。本会議終了後、私は安倍首相にそのことを述べると、「御党のおかげです」という感謝の言葉が返ってきた。児童手当の充実をはじめとする子育て支援策は、今年もまた前進をしている。子育てや学生支援、認知症やがん対策、さらには就職氷河期支援にまで拡大。公明党の戦いによって社会保障は大きく前進した。
「教育」についても、私立高校の授業料無償化、大学生の奨学金支援など、政策実現が次々行われた。教育基本法改正でも「愛国心」の扱いを巡って自公は激しくぶつかった。実に3年間に及ぶ議論だった。4年ほど前、安倍首相が、「教育基本法改正の時(06年)、『偏狭なナショナリズムではなく、パトリオティズムが大事』って太田さん言ったよね」といきなり言い出したことがある。パトリオティズムとは郷土愛というべきものだ。自公の違いを議論してまとめた愛国心の条文は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」となった。統治機構としての国の概念ではないという意図から「我が国」とし、国と愛の間に「郷土」を挟んだパトリオティズムを表現したのだ。
自公連立政権というが、党が違う以上、その主張も違う面がある。自民党は伝統的に経済政策も安全保障も全体から見る「マクロの目線」を重視する。一方、公明党は「大衆とともに」との党是の下で、国民一人一人の生活に対する現場の目線を重視してきた。この目線の違い、政策的な距離があったからこそ、政権の幅が広がり、状況の変化に柔軟に対応する力となった。「連立政権は不安定」と世界的にいわれてきたが、日本の政治が安定してきたのは、自公両党に違いがあるからこそ激しい討議が行われ、信頼の中で解を見出してきたからだと思う。公明党の「政治の安定と改革のリーダーシップ」が実行されてきたのだ。
■「平和の実現」への外交徹して貫く
「平和の実現」は公明党の強く主張するところだ。「平和外交」を公明党は貫き、世界各国の首脳との会談、そして国際会議においても公明党議員は行動し、発言をしてきた。山口那津男代表は、訪中、訪韓を幾度も行い、この7月にASEAN(東南アジア諸国連合)各国を訪問し、対話をしている。首脳間の対話が平和外交にとってなによりも重要だ。
03年、戦闘が休止状態となったイラクを訪問した。生々しい戦闘の惨状を見て、病院や難民キャンプを訪れた。そこで感じたのは「民生の安定こそ平和の礎」ということだ。帰国して、自公を代表して本会議で「民生の安定こそ平和の礎」であることを訴えた。日常の生活が平穏に行われることこそが、平和の礎になるという実感だった。
日本でも過疎化が進み、離島の無人化も懸念されている。農業、漁業、工業、商業が日々営まれ、庶民が日常の生活を確保できることが、実は平和の礎となることを忘れてはならない。「戦争は貧困という構造的暴力問題に起因する」と言ったノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングの指摘の通りだ。
15年の平和安全法制の議論も自公で激しいものだった。その議論の結果、現行憲法の枠内にこだわった自衛の措置(武力行使)の新3要件を設けて、あくまでも「他国防衛」ではなく、専守防衛の下での「自国防衛」「自国民防衛」に徹する平和安全法制を整備した。現在のロシアのウクライナ侵略をはじめとする世界情勢の不安定化を見る時に、この平和安全法制が大きな成果となっていることは、多くの識者が認めているところだ。
また今年議論となった防衛装備完成品の第三国移転(輸出)に関する政府方針を巡っては、公明党が一貫して議論を主導。「意思決定のプロセス化」と「明確な歯止め」をかけ、国連憲章を順守する平和国家としての基本理念を堅持する決定をもたらしたことは周知のことである。
公明党は、「太陽の党」だ。太陽は立場を超えて全ての人に平等に降り注ぐ。日陰で奮闘している人ほど太陽の温かさは心に染み入るものだ。あらゆる人に勇気と希望を与え続ける公明党であり続けたい。私自身は現役を退いた身だが、「大衆の中に死んでいく」との指針のままに、報恩感謝の闘いを生涯貫きたいと思っている。
この機に改めて、公明党を支援し育ててくださった党員・支持者の皆さま、先輩議員、後輩議員の全てに心から感謝申し上げたい。