「支えあう日本。心をつなぐ。公明党」--。2011年3月11日の東日本大震災後、党のポスターで掲げられたフレーズだ。同年4月に東大和市議に初当選した東口正美(59)は、その言葉を胸に刻む。今日まで日数にすれば、5523日。真っすぐ、誠実に。目の前の一人を支え、心をつないできた。 * 東口は当選間もない頃、宮城県南三陸町で3・11に遭遇した及川大喜さん(25=当時小学5年)の作文と新聞を通じて出合う。大喜さんは最愛の祖父と自宅を津波で失い、隣接する登米市へ転校を余儀なくされていた。悲しみが癒えぬ中、大好きな野球ができる喜びや祖父のために負けない人生を歩む決意に心を打たれた東口は、居ても立ってもいられなくなった。「そうだ、被災地の野球少年・少女を招待しよう!」 人脈も、政治経験もない。あるのは、情熱だけ。そんな東口を、市議、都議の仲間が快く応援してくれた。ホストファミリーの確保、スポンサー集め……。思いが周囲に伝播し、一つ一つ難題を乗り越えた。都が進めるスポーツ交流事業の採択へ道を開き、12年夏、登米市の代表を東大和市へ招いた試合がついに実現。グラウンドには、目を輝かせる大喜さんの姿もあった。 社会人になった大喜さんは「小学生だった僕たちのために多くの人を巻き込み、希望を届けてくれた。思い出を作ってくれた東口さんに感謝しています」。母の康子さんも「東口さんの熱意に触れると、周りの人が自然と応援したくなる」と称賛する。この経験は、どんな困難な壁も「一点突破」で切り開く東口の議員人生の礎となった。 ■主婦の目線で矛盾をただす 東口は、主婦として3人の子育てに奮闘していた頃の感覚を今も大切にする。「主婦の目線でおかしいと思うことは、やっぱりおかしいから」。矛盾を感じた一つが、助産所での妊婦健診を巡る窓口負担だった。 かつて助産所で出産する妊婦は、14回分が原則無料になる病院と違い、健診時に一度、全額を自己負担しなければならない「償還払い」の制度に泣いていた。「若い世代に1回約5000円の立て替えは重い」。東大和助産院の青柳三代子院長から寄せられた声を、東口は真摯に受け止める。 「経済的な理由で選択肢が狭まるのはおかしい」と議会で何度も訴え、公明都議を通じて都にも働き掛けた。その主張が行政を動かし、24年10月に対象が拡大。都内25カ所の助産所で健診費用の立て替えが不要になった。青柳院長は「東口議員が心から共感し、自分事として動いてくれた」と目を細める。 さらに東口は、都営東京街道団地の建て替えで生まれた跡地の活用策もリードした。10年以上前から都議と連携を重ねて住民の願いを形にし、大型スーパーや医療福祉施設、交流スペースを備えた複合商業施設と市内初の人工芝グラウンドが次々完成。「こんなことができるのは、公明党しかない」と大きな信頼が寄せられる。 * 議員活動は、日々闘い。子育て真っ盛りの時は朝4時半に起きて子どもと夫を送り出し、議員活動へ。隙間を縫って家事をこなした。つらい時も、いつも心には、公明党の女性議員として一家を、地域を、社会を照らす太陽にとの誓いがあった。 議場には真剣勝負で臨む。先輩議員から「質問の議事録は公文書。公明議員として恥ずかしくない質問を」と教わり、住民の声を必ず市政にと“生の声”を代弁する。これからも精いっぱい、一人と心をつなぐ。多くの笑顔を広げるために。(文中敬称略。随時掲載) ■取材後記 「社会にある矛盾は、一人の声からしか紐解けない」と、住民相談を大切にする。団結を重んじ、市議会公明党の5人で週1回、必ず顔を合わせて情報交換や研さんを重ねる。「地方議員にできることはまだまだある。もっと連動し、政策を研ぎ澄ませば、大きなうねりは絶対に起こせる!」。熱伝導を受けた。(灯) ※感想をお寄せください ※過去の連載はこちら