激震に見舞われた熊本地震から、きょうで1カ月。最大震度7を観測した宇城市で自らも被災し、自宅が損壊してもなお、愛する故郷の再建へ走り続けるのが公明党の河野正明市議だ。父の遺志と「大衆とともに」の誓いを胸に、一人一人の声に寄り添う公明議員の使命と復旧・復興への決意をつづってもらった。 ■被災者支援を矢継ぎ早に実行、公明の「チーム力」こそ誇り 私が19歳の時に亡くなった父の遺品は「公明」と書かれた古いヘルメットでした。党員として地域を守るため、災害の度にかぶり現場へ駆け付けていた父の背中は、私の公明議員としての原点です。 ■発災後、即座に状況調査を開始 あの日は、普段通りの活動の合間に自宅で一息ついていた最中に起きました。「ドンッ!」と爆弾が落ちたような衝撃とともに猛烈な縦揺れと横揺れが襲ったのです。ソファにしがみつくのが精いっぱいの中、母屋の石垣は大きな音を立てて崩れ落ち、わが家は居住できない状態になりました。 家族の無事を確認し、表へ飛び出すと、ひび割れた道路と損壊した家々が目に飛び込んできました。事態の深刻さに気付き、「一刻も早く住民のもとへ駆け付けねば」と焦る一方、道路は段差ができていて容易に車を走らせる状況ではありません。電話で住民の安否確認を試みるもつながらず、もどかしい気持ちを抑え、発災翌日から被災状況の確認へ急ぎました。 「またあの苦しみが来るのか」。被災者のもとを回る中、10年前の恐怖が脳裏をよぎり、絶望に打ちひしがれる姿に胸が締め付けられました。私も被災し、車中泊も経験していただけに、その苦しみは痛いほど分かります。とにかくできることは何でもやろうと、手元に届いたブルーシートや物資を車に積み込んでは、被災者宅や避難所を何度も往復しました。 「けがはありませんか」「困っている事は何ですか」。一人一人に声を掛け続ける中、見知らぬ方が「河野さんが来てくれたから、お願いしたい」と涙ながらに手を握ってこられました。 住民の切なる声と不安を聴いて、国や県に対して「助けてください」と頭を下げるだけで終わるわけにはいきません。党のネットワークを駆使し、国会議員や県議と共に避難所へのトイレカー導入など矢継ぎ早に対策を講じました。この圧倒的なチームの力こそ、私の誇りです。とともに、被災者の苦しみをわが事とし、どこまでも一人に寄り添う公明議員の使命の重みを痛感しています。 ■被災者と全国の真心結ぶ役割も 激闘のさなか、全国の知人・友人から「あの人は無事か」と安否を気に掛ける連絡が相次ぎました。住民の声に耳を澄ますと同時に、全国からの思いにも即座に応え、被災者と全国の真心を結ぶ懸け橋となる。それもまたネットワークを持つ公明議員の果たすべき大切な役割なのです。 思い返せば、高校卒業後、潜水士をしてきた私は立候補を打診された際「学も力もない自分で大丈夫なのか」と悩みました。合併後の宇城市で初の公明議員として当選させていただいた後も、先輩もいない中で「どのように議会質問を組み立てればいいのか」と暗中模索と苦労の連続でした。 それでも、頼りない私を地域の皆さんが真心から支え、育ててくださった。何とか、お応えしようと、地域でいざ何かが起きた際、すぐに駆け付けられるようにとお酒を一切断ち、人一倍泥臭く現場を走り抜きました。恩返しのため、今、地域のために力を尽くすことは当然です。 被災者は皆、生活再建に向けた重い課題を抱えています。労苦の多い現場でこそ「大衆とともに」の真価が問われます。険しい道のりであっても、一人一人が心の復興を果たし、希望を取り戻すその日まで、どこまでも寄り添い続けます。