毎年の8月6日、食卓には必ずカボチャを並べる。杉並区で暮らす横山江美さん(74)。被爆2世で、元公明党議員でもある。81年前のあの日、広島で被爆した母が命をつないだ食べ物だった。亡き母の願いを胸に、現職時代は同区の平和施策をリードし、勇退後も次代へ語り継ぐ活動を続けている。自宅を訪ねた。 ■母から娘、そして孫へ 被爆2世として次代に伝え続ける 爆心地から約1・2キロ。ピカッと光り、ごう音に襲われた後、母は家の下敷きに。必死にはい出し、駅の方へ向かうと皮膚が焼けただれた人のうめき声が響き、死んだ人が足の踏み場もないほど転がっていた。「地獄だと思った」とよく語っていました。助けを求める人に水をあげられなかった後悔は、生涯、母の胸に残りました。 被爆した翌日、自宅へと戻った母は、庭に植えていたカボチャが真っ黒になっているのを見つけます。割ってみると、中からホクホクとした黄色い実。空腹の中、口にすると「本当に甘くておいしかった」そうです。この母の体験から、わが家では毎年8月6日にカボチャの煮物を食べ、平和を願うようになりました。 カボチャの日と題して作文に。後年、中学国語の教科書に掲載され、姉妹の家族や孫たちにも受け継がれる。文末に順子さんが記した「絶対に戦争をしてはいけない」「そのために、母の貴重な体験を、母の胸の中だけにしまっておいてはいけない」との言葉は、江美さんの誓いでもある> 私は、幼稚園教諭などを経て99年、杉並区議に初当選し、2019年まで5期20年務めました。 議会質問では、母の体験を通し、平和施策の推進を提唱してきました。特に、核兵器廃絶をめざす世界の都市ネットワーク「平和市長会議」(現・平和首長会議)への加盟を実現できたのは、大きな誇りです。 未来を担う世代に「被爆の実相」を学んでもらいたいとの思いで、中学生の広島派遣も提案しました。後輩議員に引き継いだ後、22年度に事業は本格開始し、今年も24人の生徒が現地に足を運んでいます。 地元の中学校などで体験を伝えています。24年12月に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞した際、杉並光友会の代表としてノルウェー・オスロを訪問し、世界各国の人と対話する機会を得ました。私は被爆2世であり、原水爆禁止運動や被爆者の会の署名運動が杉並から始まった歴史を伝えました。「核兵器は絶対に存在してはならない」との信念で。 今、国内では政治家が非核三原則の見直しや核共有を口にする恐ろしい時代になりました。私自身、平和と核なき世界への信念を一歩も引かずに伝えていきます。それが、母から命と平和のバトンを受け継いだ被爆2世であり、公明議員を務めた私の責務ですから。